志登支石墓群の情報は、2015年5月時点のものです。
志登支石墓群に弥生時代早期の暮らしを偲ぶ
支石墓とは、遺体を埋葬した上に、小さ目の石で大きな石の蓋を支えて被せたお墓です。
九州北部には、弥生時代に作られたらしい支石墓形態のお墓をみることができ、
糸島には志登支石墓群以外にも、新町支石墓、石ヶ崎支石墓などの支石墓があります。
また新町支石墓からは、縄文人が支石墓に埋葬されていることから、九州北部が支石墓の発祥とも考察される国指定の史跡なのです。
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田んぼの中の志登支石墓群
JR筑肥線波多江駅から、北に向かって約1kmのところに、志登支石墓群(しとしせきぼぐん)はあります。駅から歩いて行ける距離です。
途中に標識が出ているのでわかると思います。
志登支石墓群は田んぼの中にありました。
木が数本茂っているところが志登支石墓群です。
遠くに可也山を望む絶好のロケーションです。
なんとなく、かなり荒れている感じ・・・・
一応、史跡であることを示す掲示板が建っております。
国指定史跡 志登支石墓群
案内板によりますと・・・
志登支石墓群は弥生時代早期から中期にかけてのお墓で、昭和28年に文化財保護委員会によって調査された結果、
支石墓10基、甕棺墓8基、平安時代の溝が1条が発見されており、
お墓からは、打製石鏃、柳葉形磨製石鏃、打製石鏃などの副葬品が出土しています。
大きな石が見えます
これが支石なのか・・・ かなり大きめの石が埋もれております。
これらの石は、最大のものは5トン以上あるそうで、近くの可也山から運ばれたと言われているようです。
ちなみに可也山は石材の産地でもあり、かつて黒田長政公が日光東照宮広前に、可也山から切り出した石で大鳥居を建立しているそうです。
国指定の史蹟が草ぼうぼう・・・
しかしながら、国指定の史蹟が草ぼうぼう・・・
あまり顧みられていない感じがします。
標識も埋もれています。
マンションが迫ってくる
志登支石墓群のまわりは田んぼなのですが、近くにマンションが迫っているのがわかります。
このまま糸島市が発展してゆくと、マンションの間に埋もれてしまうのかもしれませんね。
糸島は遺跡や古墳などが点在している歴史遺産の宝庫ですので、近くの遺跡を訪問してみてくださいね。
先人の暮らしをを偲び想いを通わせると、先人たちが良き方に導いてくれると思いますよ。
※志登支石墓群の情報は、2015年5月時点のものです。
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